マタイ福音書
序章 メシアなるイエス(HBH)
マタイが特に強調する点は、イエスが旧約の預言者たちによってあらかじめ語られたメシアであるということである。マタイは繰り返し繰り返し旧約聖書から引用する。ユダヤ人読者を特に意識していたからであろう。この福音書は「天の御国」という言葉を非常に多く繰り返しているので、天国の福音とまで呼ばれている。全部とは言えないが、年代順よりもむしろ題目順に主な事件が集められている。イエスの説教、特に「山上の説教」「再臨と終末の教え」はすべて収録されている。
マタイ
この福音書に著者の名は出ていない。しかしパピアス(使徒ヨハネの弟子)に始まる初代教父の時代以来、使徒マタイの作と認められている。
マタイについてはほとんど何もわからない。彼はレビとも呼ばれた。十二使徒の名があげられている4つの記録は、どれも彼の名を記している。(マタイ10:3,マルコ3:18,ルカ6:15、使徒1:13)その他には彼がイエスの召命を受けた時の記事があるだけである。
(Mat.9:9-13;Mark2:14-17;Luk5:27-32)
マタイが自分について語っている唯一の言葉は、恥を意味する「取税人」という言葉であった。取税人はローマの税金徴収者であるが、多くは搾取を常習としていたので、一般の人々から軽蔑されていた。ルカの福音書には、マタイがイエスのために宴会を催し、イエスに従うために一切を捨てたとある。しかし、マタイはそれを自力でしたとは思っていない。彼は英雄に対する崇敬の念から我を忘れたのである。この我を忘れた謙遜さのゆえに、我々は彼を愛するのである。
また、このような人を「全世界で最も広く読まれた本」だというこの福音書の著者として選ばれた神の恵みに驚嘆する。
伝承ではマタイは幾年かをパレスティナで宣教し、その後諸外国を旅行した。彼はその福音書を最初はヘブル語で書き、幾年か後に、多分60年頃、さらに完全なギリシャ語の福音書として世に出したという。しかし本書を記した事の人類に与えた貢献はいかに大きかった事か。
マタイは取税人という職業で記録を取る事に慣れていたし、イエスの公生涯の間、個人的な接触があった。マタイがマルコの福音書から取材したという、広く行き渡った確証のない仮定は、明らかに馬鹿げた説である。マルコがイエスを知っていたかどうかは、確かではない。マタイはなぜ自分の目で見たり、自分の耳で聞いたりしたことを、目撃者でもない者の記録から取材しなければならないのか。
0 件のコメント:
コメントを投稿