訳の変更について

マタイ13章24節 

毒麦→雑草

2024年3月22日金曜日

 

マタイによる福音書(UBD

MATTHEWmathu;主の賜物)アルファヨと呼ばれるある人物の息子。レビと呼ばれた(Mark2:14;Luke5:27



彼の居住地

マタイの住居はカペルナウムにあった。そして、彼は、「徴税請負人」であった。当時、ゲネサレ湖の沿岸には非常に多くの人々が住んでおり、漁業が生計の源であり、またその湖面は海上交通で混雑していた。マタイが徴税請負人をしていたカペルナウムの税関はローマ帝国によって確立された。本来の徴税請負人たちはローマ人の金持ちたちであったが、彼らは居住民を配当人(portitors)と呼ばれる人々を代理人にして職務を代行させた。マタイはこのような人々に属する。

マタイの召し

マタイについては、次のように記述されている。「取税所に座っていた」彼に、イエスが「私に従ってきなさい」と言われた。多分、彼はあらかじめイエスを知っていた。なぜなら、彼は、「すぐに立ち上がって」彼に従って行った、とあるからである。(Matt.9.9;Mark2:14;Luke5:27-28

この後まもなくマタイは「自分の家で彼のために盛大に宴会を催した」(Luke5:29;Matt.9:10;Mark2:15)そして、それは彼の昔ながらの仲間たちに別れを告げるためであった。なぜなら、「多くの徴税請負人たちや、罪びとたちが来て晩餐の席についていた」とある。(Matt.9:10

この後のことについては、我々は使徒の名簿(Luke6:15)と、主が昇天された後、エルサレムの2階にいた(Acts1:13)でのこと以外には、彼についての記述を見ることがない。

古代からの証によれば、彼の名に負うところのこの福音書はこの使徒によって書かれたのである。伝説によれば、マタイは主の昇天の後、12年から15年間ユダヤで福音を宣教した後、他の国々に行ったのである。

AB

福音の意味は、「良きおとずれ」、又は、「喜ばしい知らせ」である。それは一般的にこのメッセージそれ自体を示している。しかし、ここでは、このメッセージを含む記録についての書として用いられている。

新約聖書の著者の称号として用いられている「聖徒」という言葉は、ローマ・カトリックに由来するが、何の権威もない。

一般的には、マタイは最初彼の母語である、パレスティナの言語で書いたということが、かなり信じられている。その言語は純粋のへブル語ではなく、へブル語と、カルディア語と、シリア語との混成言語であり、普通、「Syro-Chaldaic」または、「Aramean

と呼ばれるものである。私たちの救い主は、疑いなくこの言語を会話にお使いになっていた。そして、彼の弟子たちもまた、この言語を自然に使い、他の言語を用いて書くのに良い理由がなければならない場合を除いて、この言語を用いていたのである。

新約聖書で残存しているものはギリシャ語のものであることは、承認されている。

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