訳の変更について

マタイ13章24節 

毒麦→雑草

2024年8月26日月曜日

 使徒行伝を詠むと、一つの傾向がある。それは、イエスキリストの神の子としての神性を表す 名称を執拗に何ヵ所にわたって否定し、神の僕と言い換えていることである。

他にも存在するが、要するにネストレアーラントでは、イエスキリストの神性ではなく、人性を強調したいのである。

もしそうならば、ヨハネの最後にある、イエスを神のこキリストであることを信じ、それによって命を得るためである。という言葉は空文化してしまう、もしくは読む者の確信を弱めることが目的であると思うのは勘ぐりすぎであろうか。

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